
エイサー人の
エイサー人による
御万人(うまんちゅ)のためのまつり
このたび、「第1回 関東沖縄エイサーまつり」を開催いたします。
私たちはこれまで21年間、「中野チャンプルーフェスタ」という祭りを続けてきました。
年を重ねるごとに出演団体も出店も増え、昨年は74組の団体にご出演いただくまでになりました。
多くの方に沖縄を楽しんでいただける場になった一方で、私たちはひとつの問いを抱えるようになりました。
——私たちは、ただ自分たちが楽しんでいただけではないだろうか。
関東のエイサー団体の多くは1995年から2020年頃までの間に生まれました。
しかしそれ以降、新しい団体はほとんど増えていません。
20年前から同じ顔ぶれで、20代だった仲間は40代になり、40代だった仲間は60代になりました。
久しぶりに会えば「楽しいね」と笑い合う。その時間はかけがえのないものです。
けれど、私たちは沖縄からいただいたこの芸能の楽しさや精神を、次の世代にきちんと手渡してこられたのでしょうか。
中野区では小学校でエイサーを習う子どもたちがいます。
しかし中学に上がると部活動が始まり、多くの子がエイサーから離れていきます。
戻ってくるのは大学生になってから。
地域の大きな祭りに出ることばかりに目を向けて、自分たちの足元――日常の風景の中にエイサーがある状態――を育ててこなかったのではないか。
根を張るとは、そういうことではなかったか。
だからこそ私たちは、祭りをふたつに分けることにしました。
音楽も食も含めて沖縄を丸ごと楽しむ「中野チャンプルーフェスタ」は10月の秋に。
そして、エイサーに特化し、「継承」をテーマに掲げる祭りを、本来のお盆に近いこの時期に。
それが「関東沖縄エイサーまつり」です。
この祭りが向いている方向は、実はお客様ではありません。
まず私たち、見せる側自身に向いています。
自分たちは何を受け取り、何を渡していくのか。
それを団体それぞれが問い直すための場として、第1回を立ち上げました。
エイサーには、上手い・下手があります。
沖縄の方が県外のエイサーを見て物足りなく思うこともあれば、その逆もあるでしょう。
けれど私は、そのどちらにも与しません。
この踊りに出会って、この芸能があったから生きていていいと思えた——そう感じた人の思いを、誰も否定してはいけない。
私が守りたいのは、その一点です。
今年は、沖縄県外では最多となる40団体にお集まりいただきます。
伝統エイサーも創作エイサーも、福島のじゃんがらも、地元・中野の小学生も。
エイサーとは何なのか、その懐の深さと広がりを、どうか会場で確かめてください。
そして、この祭りを通じて一人でも多くの方が「自分もやってみたい」と思ってくださったなら。
その一歩こそが、私たちが本当に受け取るべき答えだと思っています。
会場でお会いできることを、心より楽しみにしております。
関東沖縄エイサーまつり実行委員会代表 上原慶
1980年沖縄市生まれ。コザ高校卒業後に上京。東京都中野区にて「東京エイサーシンカ」所属を経て2005年に「東京中野真南風エイサー」を旗揚げ。第1回「中野チャンプルーフェスタ」への参加を機に、中野区内の多くの祭りやイベントに参加。
