

1. 中野区に「沖縄郷土の家」ができた!
時代は高度成長期、不足する労働力を補う「金の卵」たちを迎えるため国策として中野区を「青年の集う街」とするべく旧労働省が勤労者向けの福祉施設「全国勤労青少年会館(中野サンプラザ)」を1973年に開業。サンプラザ開業に先駆け「金の卵」たちの心のケアなどを目的とした中野区・青少年課による「郷土の家」施策が1970年に開始。沖縄県は当時まだアメリカ施政下にあったが、中野区は金城唯温さん静子さんに依頼し、中野区中野6丁目のご自宅を「沖縄郷土の家」として開放。「中野のオキナワ」が始まりました。
2. 戦後「関東伝統エイサー始まりの街」中野
「沖縄郷土の家」に集まった若者たちは金城ご夫妻に見守られ東京での生活を続けていきます。スポーツ大会やピクニック、クリスマス会など季節の行事などで親睦を深めていったそうです。沖縄郷土の家のリーダーとして活躍していた仲吉朝賢さんが1970年に郷土の家の仲間に呼びかけ読谷村渡慶次エイサーを始めたと記録に残っています。当時は片面皮張り太鼓「パーランクー」での演舞だったそうです。1974年には「関東沖縄青少年の集いゆうなの会」のメンバーとともに神奈川県横浜市鶴見区にて「第1回エイサーの夕べ」を開催するにいたります。
3. パーランクーエイサーから締め太鼓エイサーへ
1979年、「沖縄郷土の家」のメンバーを中心に「東京沖縄県人会青年部」が中野にて結成。1981年、代々木公園で開催された「エイサーの夕べ」にて喜納昌吉さんの紹介を受け「沖縄市比嘉青年会(現:沖縄市久保田青年会)」が締め太鼓エイサーを披露。締め太鼓の迫力に感銘を受けた「沖縄青少年の集いゆうなの会」のメンバーが「比嘉青年会」より型を教わり、締め太鼓エイサーへと移行。その後ゆうなの会は「東京沖縄県人会青年部」と合流、青年部エイサー隊が型を継承し締め太鼓エイサーを伝搬、関東のエイサーは締め太鼓エイサーが主流となり、1985年には中野北口広場にて「第1回アジバ祭」が開催されました。
4. 沖縄生まれから「中野生まれ」へつなぐ
「青年の集う街」という施策で中野区に沖縄県人が多く集まり56年。1970年当時は「沖縄県人が生きるため」に踊ったエイサーは今「中野生まれ」が物心ついた時から聞いたことのある「街の音」のひとつとなりました。中野区で結成されたエイサー団体は10以上を超え現在は子ども会を含む5団体が区内で活動しています。「中野区・沖縄郷土の家」で救われた心を、文化として地域に恩返しをしたい「中野チャンプルーフェスタ」はその気持ちで今年も開催させていただきます。次世代に思いを託した、次の50年に向けた「ヌチヌグスージ(命の祭り)」を皆さまと共に楽しみたいと思います。
