1970年「中野区・沖縄郷土の家」において仲吉朝賢さんが「読谷村渡慶次エイサー」を始めたのが戦後、関東で初めて人が集まり披露されたエイサーと記録が残っています。
その後1975 年「関東沖縄青年の集いゆうなの会」内でエイサー隊が発足し中野(西部支部)のメンバーが中心を担う。
その後「東京沖縄県人会青年部(初代青年部長:仲吉朝賢さん)」が発足。同時に「エイサー隊」も誕生。1981年代々木公園で開催された「エイサーの夕べ」にて当時の青年部メンバーが「沖縄市比嘉青年会」の締太鼓演舞に感銘を受け「比嘉青年会」から指導を受けパーランクーエイサーから締太鼓エイサーに転換。
現在の関東エイサーの潮流となる締太鼓エイサーを継承伝搬していきます。